真間山 弘法寺の歴史
◎市川第8団の“根拠地”
市川市内の名刹である真間山弘法寺が市川第8団を創設しました。
創設後の市川第8団に対しては、育成会の主たる会員として境内月見の広場をキャンプ場の提供と支援金(賛助金)を提供し続けています。よって未来永劫に市川第8団の“根拠地”であります。
◎歴史
・737年(奈良時代) 行基菩薩がこの地に立ち寄られた折に里の娘が身を投げた哀話を知り、その霊を弔うためにこの地に「求法寺」を建立。
・822年(平安時代) 弘法大師空海が布教のためにお出でになり、七堂伽藍を再建されて「弘法寺」と改称。
・1275年(鎌倉時代) 関東天台の了性法印信尊と日蓮大聖人の弟子富木常忍公との間に「真間問答」がおこり、富木常忍公が法論において勝利をおさめた。これを機に日蓮宗の法華経道場として発展してきた。(人間道場の由来)
・1323年(鎌倉時代) 地元の有力武将千葉胤貞公より寺領地の寄進を受ける。
・1591年(江戸時代) 徳川家康公より御朱印状を賜る。
・1888年(明治時代) 大火災により全山灰燼に帰した。
・1998年(平成時代) 慶讃事業として大客殿建設。
・1999年(平成時代) 酒井日慈貫首の「寺を市民に開放する」という英断により、大人向けの「和波波の会(憂いを破り和の波を広げよう)」に続き青少年向けにボーイスカウト団を創設。市民に広く開放して宗教宗派に拘らない「オープン団」であることが特徴。
この創設に際して当時ボーイスカウト市川・浦安地区委員長の森屋啓氏と組織拡大委員長の岡田隆氏の貢献が大であった。
団本部を寺務所に置き、初代育成会長に執事丸秀昭、団委員長に地区協議会派遣の岡田隆が就任。
・2010年(平成時代) 記念行事として新祖師堂建設。